SSブログ

江美早苗の夫、屋代昭彦の愛と憎しみ。元祖ストーカー殺人事件!爆報!THEフライデー [テレビ]

本日の爆報!THEフライデーにて、元祖ストーカー殺人事件が放映された。

歌って踊れるアイドルだった江美早苗が無残にも殺されてしまう悲劇の事件だ。

犯人は、元夫の屋代昭彦だった。

悲しい結末を迎えたこの事件をクローズアップしていこうと思う。

スポンサードリンク




元祖ストーカー殺人事件



なぜこの事件が『元祖ストーカー殺人事件』と呼ばれるようになったのか?

事件が起こったのは、1988年。

この当時、ストーカーという言葉がメジャーではなかったのだろう。

おそらく、大きな事件として初めてストーカー行為が公に出てきたのが

この元祖ストーカー殺人事件だ。

当時の新聞にも、ストーカーという言葉は一度も出てきていない。

スポンサードリンク




江美早苗の元夫である屋代昭彦



江美早苗と屋代昭彦さんの出会いは、仕事の関係で知り合うことになる。

屋代昭彦の仕事とは、レコードプロデューサー。

江美早苗は歌手活動もしていましたから、レコーディングもしくは、

曲作りのどこかで2人はあったのでしょう。

レコードプロデューサーというのは、今の時代で言う音楽プロデューサーで、

レコードやCD・LD などの音源制作や、コンサートや映画などの企画で音楽制作面全般を

指揮する役割の職名である。

元々は売れっ子だったのだろうか?

おそらくしっかりとした仕事ぶりだったのだろう。

江美早苗と出会ってから結婚するに至っているので、それなりに業界では有名だったと推測できる。

江美早苗の作詞家としての才能を見いだしたのも、この屋代昭彦なのだ。

しかし、なんの因果なのか?

次第に、屋代昭彦は江美早苗の作詞家としての成功に妬みを持ってくる。

その頃から、夫婦の中は次第にすれ違って行き、離婚に至った。

夫婦というのは、微妙な関係を持っていて、気をつけなければならないのは、

一方の成功が、一方の尊厳を奪ってしまう可能性だ。

思いやりと天狗になることなく、しっかりと夫婦の時間を作る事が出来たなら、

今回のような事件にはならなかったのではと、当時に想いを馳せる。

江美早苗という人物



1951年(昭和26年)3月15日、島根県松江市に生まれる。

実家は老舗旅館であり、4人兄弟の末っ子。

6歳から始めたバレエで大成功をする。

1967年(昭和42年)に同バレエ団のメンバーで結成されたダンスグループ「レ・ガールズ」に参加。

1971年(昭和46年)1月31日に放送開始し現在もつづく長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』の初代司会に満19歳で抜擢!

桂三枝・月亭可朝との3人でスタートを切った。

女優としての代表作は、『呪いの館 血を吸う眼』(監督山本迪夫)

歌手としては、シングル『ふたりの歓び』を最後に歌手活動を終えている。合計7枚のシングルを発表。

36歳の死去までの間、晩年は作詞家として活動し、少年隊などにも歌詞を提供した。

スポンサードリンク


Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...
nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

トラックバックの受付は締め切りました

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。