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神戸連続児童殺傷事件の東慎一郎の家族は、絶歌をどう思うのか!? [ニュース]

先日、太田出版から出版された、神戸連続自動殺傷事件の犯人、

酒鬼薔聖斗、当時の本名、東慎一郎が著者の絶歌。

出版に際して、世間やネットユーザーなどから、多くのバッシングや疑問の声が

報じられている。

東慎一郎は、何を思い、出版に至ったのだろうか?

また、出版に際して絶歌を家族はどう思っているのか?

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神戸連続児童殺傷事件、今だから見える事



1997年、神戸連続児童殺傷事件は起こった。

当時は、その事件内容があまりに特異であり、ショッキングな内容だったため

連日、もの凄い報道だったことを覚えている。

この事件は、アメリカ同時多発テロや、阪神淡路大震災、東日本大震災と並んで、

世間に与えたダメージやショッキングな内容において、未だに、

我々の記憶の中に、鮮明にこびりついている。

酒鬼薔聖斗・東慎一郎が、絶歌を出版した理由は一体何だったのだろうか?

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「絶歌」



この本は、東慎一郎が新たに生きる道として、選んだ手段のようである。


この十一年間、沈黙が僕の言葉であり、虚像が僕の実体でした。 僕はひたすら声を押しころし生きてきました。 それはすべてが自業自得であり、それに対して「辛い」、「苦しい」と 口にすることは、僕には許されないと思います。 でもぼくはそれに耐えられなくなってしまいました。 自分の言葉で、自分の想いを語りたい。 自分の生の軌跡を形にして遺したい。 朝から晩まで、何をしている時でも、もうそれしか考えられなくなりました。 そうしないことには、精神が崩壊しそうでした。 自分の過去と対峙し、切り結び、それを書くことが、 僕に残された唯一の自己救済であり、 たったひとつの「生きる道」でした。 僕にはこの本を書く以外に、もう自分の生を掴み取る手段がありませんでした。 出典:元少年A『絶歌』p.293-294(2015年・太田出版)


絶歌が出版された意図は、まずはこの文章から読み取れるように、

東慎一郎が本人の意思により、沈黙を続けて来た時期からの脱却である。

おそらく、出版にあたり、本人も尋常じゃない程、悩んだのだろう。

あとがきでは、遺族への謝罪文があるようだが、問題はなぜ無断で出版したのかというところにある。

遺族に知らせることが出来なかった理由がココには隠れていると思う。

それは一体何なのか?

自分本位の欲求をただ満たす事だけなのだろうか?

酒鬼薔聖斗



この名前は、一部の犯罪者やカルト的な信仰のなるモノに取っては、

どうやら神格化されているようである。

それほど、凄まじい事件だったという事なのだが、

この絶歌が世の中に与える役割が私には有ると思う。

(あくまで印税は遺族に寄贈するベキだと思うのだが)

一つは、神格化として神輿を担いでいる模倣犯や、そういったストーリーに

影響を受けている一部の人たちへの「人間宣言」となる。

それは、模倣犯などからしたら、光を奪う事になり、それが今後発生するかもしれない犯罪に

抑止力が掛かればなお良い。

東慎一郎の家族は、絶歌の出版に対してどう思っているのだろうか?

東慎一郎の絶歌出版は知っていたのだろうか?

真相は、わからないままだが、自分がもし東慎一郎の親だったのならば。

きっと、東慎一郎にいつまでも申し訳ない気持ちがあるだろう。

殺人を置かしてしまった罪を一生、自分で抱えていなかければならない子供に

家族は何を思うのか?

絶歌の出版は、様々なメッセージを世の中に放り出している。

これを受け止めるのも自分次第。

今後も、図らずとも話題になっていきそうです。

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